「めまい」の背後にあるもの
喪失感によるめまい
病院の外来診察室を訪れる患者さんは、実に色々な訴えを持ってこられます。最近は時代の移り変わりとともに、だんだん一筋縄ではいかないような複雑な訴えが増えていることは確かです。
その中の一つが「めまい」です。最近、七十六才のBさんという女性が「めまい」を訴えて、外来に来られました。耳鼻科でメニエール病とか、脳底動脈不全症などが疑われ、検査してもらったが異常がないので、神経内科で調べてもらいなさいと紹介されてきました。
その「めまい」は廻転生のものではなく、「一瞬、倒れそうになり何かにつかまりたくなるような不安感」ということでした。よく聞いてみると、ご主人が数ヶ月前に脳卒中で亡くなり、唯一頼りにすべき息子さんは四十才を過ぎても定職が無く、家を留守にしがちだということです。
神経系、循環器系及び耳鼻科系の精密検査でも軽いうつ状態以外にはいわゆる器質性所見(臓器の構造的な異常)は見つかりませんでした。
これは一種の『急性ストレスへの適応障害』だなと思い、雑談の中で何か治療の手掛かりを探してみました。このBさんにはもう一人、娘さんが長野に嫁いでおられ、そこには二人のお孫さんもおられることを知りました。
そこで、「病気は全く心配ありませんよ。事情が許せば思い切って長野まで旅行をし、娘さんの家にでも行ってらっしゃい」と勧めました。それから一ヵ月後に、この人は「おかげで娘と孫の顔をみてすっかり元気になりました」と表情も明るく外来にみえました。
最近、この方のように、高齢の女性で配偶者や子供を失って、しばらくして「めまい感」とか、ふらつき、不安定感などを強く訴えられ、時には入院を必要としますが、数日間経つと何という事もなく良くなっていかれる患者さんを見ることが多くなりました。
この「めまい」という訴えは、医者にとってもなかなかつかみ所のない厄介な自覚的症状で、各科をたらい廻しにされて結局はっきりしないケースが多いようです。
日本語では「目女久留(めめぐる)」が語源とされ、和名類聚集(九三四年)に「眩、すなわち懸なり。目の視るところ動乱し、物を懸けたるが如く揺々として定まらざるなり」と記されています。最近の医学では「空間認識の異常であり、仮性運動と不快感の結合したもの」という難しい定義になってしまいます。 例えば、若いスターが舞台で喝采を浴びて「めくるめく仮性運動」を感じたとしても、これは「快感」であって「めまい」を訴えて病院にくることはあり得ないことです。
若い人でも、同じように最愛の人や親友をなくすような強いショックで、失神したり、一過性に言葉も出なくなるような反応が見られますが、これが高齢者になると、過去のすべてを失ったように感じて、その反応はもっと全生活史的な深刻な心的・物的喪失感になります。一般にこのような場合、同時に反応性のうつ状態も加わって、不安定感を伴う「めまい感」という表現になるわけです。
従って、Bさんのような状態を理解するにはやはり老年期の『喪失症候群』という表現がピッタリします。
気分転換の旅
何年か前に、米国のユタ州のドクターの奥さんが、日本を訪ねたいと希望されて、案内を頼むという依頼が米国の友人からありました。ちょうど時間も空いており、京都の案内役を引き受けました。 この方は六十才ぐらいで、ご主人は半年前にガンで亡くなり、ご主人が昔訪ねたと聞いた京都を見てみたいというセンチメンタル・ジャーニーを地でいく旅行だったことも知りました。小柄な物静かで落ち着いた感じの初老の未亡人でした。気分を引き立たせるためか、真っ赤なスーツを着て、毎食後に十種類ぐらいの薬を掌にのせて飲んで見せて「何を飲んでいるのか全く知らないのよ」と淋しそうに笑っておられました。
数ヶ所の寺院に案内しましたが、たまたま一緒になった修学旅行の生徒が、皆一様に同じ制服を着ているのに僅かに好奇心をそそられた程度でした。しかし友人の紹介で行った徳力富吉郎氏の版画工房で実演されていた精密な製作工程には強い興味を示されて、「朱色の竹」の版画を買って帰られました。
帰国後のお礼状に、「あの竹の版画で蘇ったように元気になりました。あの当時は今から思えばうつ状態だったと思います」とありました。この人にとっては東洋のスクスク伸びる「朱の竹」というモチーフと、独りでご主人の曽遊の地まで旅行されたことが、『喪失症候群』の良い治療になったのでしょう。 よく、うつ気味の時に気分転換に「転地療法」をといいますが、行き先には充分気をつけた方が良いと思います。家族連れの多い温泉地や、昨今流行のリゾート地などというのは、一人旅の高齢者にとっては逆に孤独感に襲われてしまいます。
選ぶなら歴史のある町、とくに身寄りの人のいる土地、受入先がはっきりしている所などが良いでしょう。出来ればBさんの場合のように、そこにお孫さんでもおられれば、その自然で活発な動きをみているだけで、喪失感が癒され、気分が若返ることでしょう。
心的外傷後ストレス症候群(PTSD)
PTSD(Post traumatic stress disorder)は阪神大震災後、大変有名になりましたが、これも一種の「喪失症候群」とも呼べるでしょう。
精神病理学者B・ラファエルは『災害の襲うとき』という著書で、災害時の人間の心的反応を、「衝撃」→「衝撃後」→「二次ストレスに反応」に分けて詳しく分析しています。「衝撃」の時には、生と死が隣り合わせの恐怖感が支配的ですが、一方では高度の覚醒(ハイな)状態にあります。
ついで「衝撃後」には、生き残れたという安心感と、共通被災体験によって社会的障壁がなくなり、強い一種の連帯感が生じ、被災地への物資・情報の集中によって「ユートピア感」すら生まれます。しかし、その後には、家族の離散などによる喪失感、個人と社会のライフスタイルの激変、社会の救援対応の遅れやまずさなどが重なって、「二次的なうつ状態」を生じやすくなると書いてます。
とくに今回の大震災のような場合には、一瞬のうちに足元から生活空間がひっくり返され、さらに毎日頻回の余震による身体的な「ゆれ」が繰り返されるので、多くの高齢者の方々が強い「めまい感」に長期間襲われたことでしょう。
このような大災害時の心と体のケアは、今後も長期的に、細やかな同情心をもって対応していかなければならない大きな問題でもあります。
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